伯耆守に「白鳥氏と齋藤氏」を加えました

伯耆守に「白鳥氏と齋藤氏」を加えました。

 

白鳥と齋藤の関係を残された資料から考えてみました。

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コメント: 3
  • #1

    白取(jyurou20@gmail.com) (金曜日, 28 7月 2023 20:59)


    はじめまして、当家の先祖の事を調べる中でこちらのサイトに辿り着きました。大変勉強になる充実した内容で山形旅行でも助かりました。
    私は青森の白取(白鳥)氏の一族です。青森市の荒川にある菩提寺にたびたび足を運び、住職から聞いた話では戦国時代に山形から落ち延びた白鳥長久の子、白鳥伊右衛門(後に白取に改姓)が青森のこの地に辿りついたとの事。今現在でも山形の谷地から、お墓参りに来る家臣の子孫もおられるとの事です。

    伊右衛門の妹は津軽為信の側室となり二代津軽藩主信枚の生母となりました。これが事実ですと白鳥長久は津軽信牧の祖父という事になりますし、城取十郎の一国の城取りは孫の代で成就した事になります。

    青森側の家紋についてですが白取(白鳥)で一番多い家紋(庄屋、百姓家)が齋藤家と同じ丸に梅鉢紋です。白取一族で津軽藩家老職や与力職などについた武家の家系では丸に二つ引き両を用いています。青森では当家だけ稀で先祖代々九曜紋を用いています。

    武将が複数の家紋を所有する事は多々あり、白鳥長久が丸に二つ引き両を用いたのは、父の義久が第十二代室町幕府将軍の庶子であるとして家系詐称を図り出羽探題の座を狙ったか、本当に足利義晴の孫であるかのどちらかだと考えられます。(山形県地理名勝史蹟集成 北村山郡之巻より)

    九曜紋、九曜星紋については、前沢の白鳥館から中世後期ごろ、葉山に移転した際に葉山修験道の勢力と合流、この際に修験道は妙見信仰(星信仰)と弘法大師の影響を強く受けた仏教(九曜曼荼羅)信仰により白鳥家は九曜紋を古くから用いるようになったと考えます。
    丸に梅鉢紋については考察が及びませんが、谷地齋藤氏や津軽白取氏支流が用いる事から九曜紋同様に古くから使用していた可能性があります。なんらかの謂れは必ずあるはずです。

    城取と白鳥についてですが、喜ばしくおめでたい吉のある字に変える「嘉字」であると考察します。武将が「城を取る」となるとめでたい事です。
    得川→徳川
    浮田→宇喜田
    森→毛利、など。

    ちなみに津軽に落ち延びた白取伊右衛門が1685年頃に白取と改姓したのは、城取りを行っていた津軽為信の家臣となる時に、「城取十郎の倅なれど城取りなどとは畏れ多い」として城だけ白鳥の白に戻したそうです。
    こちらの考察も参考になれば幸いです。

  • #2

    齋藤 (土曜日, 29 7月 2023 17:59)

    丁寧なメールをありがとうございます。
    微力でも私のサイトが役に立ったのなら私としても嬉しいです。

    家紋の話や青森に伝わる伝承など、興味深く読ませていただきました。

    「山形県地理名勝史蹟集成 北村山郡之巻」
    の記載は私も目にしていましたが、参考文献の記載がなく、信じていいものか迷っています。

    様々な情報をありがとうございました。

  • #3

    齋藤 (月曜日, 31 7月 2023 14:47)

    よろしかったら、次のページもご覧になってください。

    「齋藤伯耆守並びに白鳥家関連資料」
    https//hohki.nishizato.net/

    「白鳥氏が関連した寺社」
    https://http://shirotori-jisya.nishizato.net/

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