天正最上軍記 實録 白鳥十郎實記

白鳥氏に関する資料はほとんど残っていません。

平成23年9月9日(金)から10月25日(火)まで、村山市にある最上徳内記念館で「悲劇の武将 白鳥十郎長久展」が開催されました。

そのパンフレットには、主な展示品として次のものがあげられていました。

 ・遠藤基信へ白鳥十郎長久の書状 白石市教育委員会蔵
 ・織田信長朱印状写 河北町指定文化財 個人蔵
 ・血染めの桜の枝片 河北町教育委員会蔵
 ・天正12年伊達政宗書状 山形殿(複製) 最上義光歴史館蔵
 ・延沢軍記(複製) 芭蕉・清風歴史資料館
 ・天正最上軍記 実録 個人蔵
 
村山市で行われた展示会でしたが、河北町教育委員会も協力したそうです。
開催中、河北町教育委員会の方とお話をする機会があり、この展示会のことに話が及びました。その方の話だと、白鳥氏関係で現存する資料はこの催しで展示されたもので全てといってもいいくらいだ、とのことでした。

私も20代長右衛門から、十郎公が最上に討たれたとき、関係書類は焼き払われ、残された一族に累が及ぶのを防いだ、と聞いています。

実際に焼き払われたのか、最上勢に攻め込まれ、谷地城が炎上したときに関係する書類等も焼き消えてしまったのか。それとも未だどこかに眠っているのか。
今となっては分かりません。

「天正最上軍記 実録」

「天正最上軍記 実録」とは白鳥氏側から書かれた軍記物で、根際齋藤家にも現存するものです。

三冊確認されているそうですが、いずれも明治20年〜22年(1887〜1889)にかけてか、それ以降に書写されたものだそうです。

一冊は根際齋藤家に伝わるものですが、20代長右衛門が亡くなったため、原本を手にすることができない状態になっています。

しかし、村山市の芦野英也氏がそのコピーを所蔵しているそうです。

平成22年7月25日 「天正最上軍記と白鳥系図」    
河北町郷土史研究会会長 鈴木 勲氏 講演資料より

書類のほか、村山市の故熊谷宣昭氏の遺族の方がインターネット上でこの「天正最上軍記」を公開しています。

上記の講演資料によると、故熊谷宣昭氏は天正最上軍記のコピーを二つ所蔵していて、その片方に、
「安永二(1773)年、あるお寺のお坊さんが先代の住職が書いたものをさらに書き写したもの、」という記載があるそうです。

いつ頃のものを書き写したか、断定することは難しいですが、この記載が正しいとすれば、いまから200年以上前にすでに軍記が書かれていた事になります。

十郎公が天正12年(1587年)討たれましたので、その200年後に書かれた軍記、もしくはそのころすでに成立していた軍記となりますが、さらにくわしい成立を示す資料がないと大本がいつ頃書かれたものであるかを断定することはむずかしいと考えられます。

私も本物を目にしたのは先に紹介した「悲劇の武将 白鳥十郎長久展」 で、でした 。

20代長右衛門がこの軍記を所蔵していたのは知っていました。
長右衛門が亡くなったのは秋。暖かくなったら、長右衛門が元気なうちに先祖のことをいろいろ教えてもらおう、と考えていた矢先の訃報でした。

展示会で「天正最上軍記」を目にしたとき、元気なときの長右衛門の姿が脳裏に浮かび、涙があふれました。

先ほど書いた故熊谷宣昭氏の遺族の方が公開してくださっているホームページのURLを紹介します。


http://www.h2.dion.ne.jp/~yun0sawa/tenshoumogamigunki.html


また、天正最上軍記のコピーは村山市の甑葉プラザ内の市立図書館の郷土資料のコーナーで自由に閲覧することができますので、ぜひ手にとって見てください。

参考

・「天正最上軍記と白鳥系図」 河北町郷土史研究会会長 鈴木 勲氏 講演資料 平成22年7月25日 

・にしかた物語 http://www.h2.dion.ne.jp/~yun0sawa/  
  天正最上軍記 http://www.h2.dion.ne.jp/~yun0sawa/tenshoumogamigunki.html

・「河北町の文化財」 山形県河北町 河北町教育委員会 平成16年11月

・最上徳内記念館 http://www.city.murayama.lg.jp/0190bunkakankou/shisetsu/tokunai/index.htm

 

・村山市立図書館 http://www.shoyo-plaza.jp/library/

 

・最上義光歴史館 http://mogamiyoshiaki.jp/

 

・河北町教育委員会生涯学習課 http://www.town.kahoku.yamagata.jp/31.html

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